新しい時代を生きる子どもたちへ、大人ができること

孫には新しい共育を受けてもらいたい、子育ての反省と思いと展望

学習する学校 Schools That Learn

苫野一徳先生の『「学校」をつくり直す(河出新書)』の中で紹介されていた本『学習する学校(英治出版、ピーター・M・センゲ 他 著、リヒテルズ直子 訳)』。


 

なんと885ページもあるので、読むのに相当時間がかかってしまいました。

翻訳本で、適当な日本語がない語句はカタカナ語で訳されているので、理解するのが難しかったです。英語を勉強していないと、難易度がかなり高く感じるかもしれません。

 

内容について「訳者まえがき」より抜粋します。

『教室・学校・コミュニティという三つのレベルに分けて、そこにかかわる子どもと大人の両方を学びの主体と捉え、社会そのものを学び続け発展し続ける「生きたシステム」として根底からつくり変えるビジョン、そのために私たちが容易に関われる数々の実例やエクササイズを提供している』

『本書は、私たち産業時代の教育システムで育ったものすべてに、自らが経験し育てられてきた学校を振り返り、未来に向けて「学び直せ」と迫ってくる。学校は「教える組織」から「学ぶ」組織に変わらなければならない。そうしなければ、学校は子どもたちに過去のメンタル・モデルを継承するだけで、彼らが、やがてまだ見ぬ未来の課題に立ち向かって生きる力を身に付けさせることはできない』

『学校が「学ぶ」組織になることで、教員と生徒、教員と管理職者、教員と保護者や地域の人々、すべての関わりがお互いを排除しない包摂的なものとなり、それぞれが他者の見解に謙虚に学びあう姿勢が人と人との間につながりを回復する(中略)

自然界のありとあらゆるもの、そして、人類を含む地球上のすべての存在がシステムとして相互に依存しあっている根源的事実を認め、それへの理解を深め、共有することで、持続可能な未来が広がる』

 

本書75ページには、気になる言葉が載っています。

『ある教員がこんなことを言った。彼女は、自分のクラスに18人の子供を抱え、そのうち15人に異なるタイプの「学習問題」があるという。(中略)だが、一学級の子どものうちの4分の3が「普通ではない」と一体どういうことか。むしろ「普通」とは一体何かを私たちに問いかけているのではないか。』

『私たちが「学習障害」と呼ぶものは、実は今の教育プロセスと人間との間の不適合を表すに過ぎない。なぜ、人間ではなく教育プロセスのほうを「障害」と呼ばないのか。』

 

エクササイズの例でおもしろかったものを1つ紹介します。

学習者の性質を見出すというエクササイズ(277~281ページ)です。

「〇〇をするからチームをつくって」というと、最もそれの得意な子から順に選ばれます。最後まで残ってしまうと、自分が役に立たないというレッテルを貼られたような気になります。この刷り込みを壊すのに役立つというのがこのエクササイズです。

この中で、9つの知能が紹介されています。優れているか否かではなく、どんな点で優れているかです。

①ワード・スマート(高いことば・言語知能)

②ロジック・スマート(高い論理・数学知能)

③ピクチャー・スマート(視覚能力や組み立てる能力)

④ボディ・スマート(高い身体・運動知能)

⑤ミュージック・スマート(高い音楽知能)

⑥ネイチャー・スマート(高い自然知能)

⑦ピープル・スマート(高い対人的知能)

⑧セルフ・スマート(高い内省的知能)

⑨フィロソファー・スマート(高い実存的知能…抽象的概念を扱うのが上手)

学校における得意な教科でわかるようなものだけでなく、⑧のセルフ・スマートや⑨のフィロソファー・スマートなど、学校ではなかなか評価されない部分が得意だという子どもにも合う選択肢があるのがいいです。

どの子にもそれぞれいいところがあるのですが、「評価される」環境にいると「評価項目」にない点はなかなか評価してもらえないですからね。

 

詳細は、本書をお読みいただければと思います。

かなり重いですので、覚悟してください(笑)。1kg以上あります。