「社会を変える」=「自分を変える」
映画「みんなの学校」をご存じでしょうか?2015年に劇場公開されたドキュメンタリーです。私は残念ながら見たことがないのですが…
大阪市立大空小学校の日常を描いた映画ですが、初代校長の木村泰子先生のお考えに感銘を受けました。
木村泰子先生が書かれた本は他にありますが、今回はもう少し取っつきやすい岩波ブックレットを紹介します。
木村先生と尾木ママ(教育評論家・尾木直樹さん)との対談をまとめたものですので、読みやすいです。
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「みんなの学校」とは「地域住民のための学校」という意味で、「すべての子どもの学習権を保障する」という理念(憲法で定められています)と、「自分がされていやなことは人にしない。言わない」という1つの約束のもと、先生や周囲の大人たちの愛情につつまれて、様々なタイプの子どもたちがお互いにかかわりながら成長している学校です。
これを聞くと、普通の学校だと思うかもしれませんが…
実は学校や社会では大人にとっての「あたりまえ」や「普通」を子どもに押しつけていることが多いのです。これが本当の子どもの姿を見えづらくしているのです。多くの学校は授業参観をはじめ、外部の人に「見せる」ための学校になってしまっているのです。(憲法で定められているはずの子どもの人権が、学校では守られていないということもよくあります。)
子どもたちが主体となるためには、子どもたちのことをよく見て、意見をよく聴くということが大事で、教師がすることはただ一つ、目の前の子どもから学ぶということだそうです。
教師だけでなく、保護者も、子どもたちを見守る地域社会の人々もそうするべきではないでしょうか。私も子どもから様々なことを学んでいます。親が与えなければならないことが多い幼い時期はもちろん、思春期に入って子ども扱いされるのを嫌がる時期は特に「大人も学ぶ姿勢」が大切だと思います。
「道徳」が教科になりました。小学校では2018年4月から、中学校は2019年4月からです。教科になったということは、教科書があり、評価がされるということになります。
そもそも、「道徳」が教科になったのは、「いじめをなくす」ということからだそうです。でも、これでいじめは本当になくなるのでしょうか?
「道徳」に関して、一人ひとりが幸せになるための正解はどこにもなく、この正解のない問いを問い続ける力が大切だということです。
将来を幸せに生き抜くためには、学校生活すべてを通して「自分の考えを持つ力」「自分を表現する力」「人を大切にする力」「チャレンジする力」の4つの力を身に付けることが大事だということを、大空小学校では確認しています。
だから、道徳の教科書を正解とするのは問題だし、評価をつけるということは無理だということです。
では、どうすればいいのでしょうか。
「文句を意見に変える力」を一人ひとりの大人が持つことが必要で、これができれば地域社会が変わり、地域が変われば日本社会も変わるということです。
そもそも、学校は評価をするためのテストがあることもあって、正解・不正解の2択の世界なんですよね。だから、白黒はっきりさせないといけないというような考えを学校生活で作ってしまっていたのかもしれません。大人になってから、白でも黒でもないことにたくさん出会い、失敗を重ねながらなんとかここまで生き永らえてきました(笑)。
教育は人生の中で非常に大事なことなのですが、教育も人も簡単には変えられない。だからこそ、少しずつこのブログで意見を出していって、何かちょっとでも変化が見られるといいなと思います。
水泳の授業
6月中旬です。まだ涼しさを感じますが、
学校では水泳の授業が始まっています。
我が子の小学校では、水温が25℃以上にならないと授業はありませんでした。
子どもたちが嫌がっている「地獄のシャワー」と呼ばれる冷たい水をかぶるのが最初の関門でしたので、水が恐い子どもにとって水泳の授業は「学校に行きたくない」原因の1つになります。
ところが中学校では、雷が鳴らない限り中止にならないんですね。
今年は一時期高温でしたがまた涼しくなり、水に入りたいと思うような暑さではありません。(もちろん日によって違いますが)
なぜ6月から?
まだ9月の方が暑さに慣れていていいような気がしますが、体育祭とかぶるからという学校行事の都合でしょうか。
子どもたちの健康管理がまず優先されるべきではないでしょうか。
異常気象が普通に起こっているので、従来の計画と合わなくても当然です。
学校のプールは最初からあったわけではないそうです。プールを作るためのお金がなくて、卒業生からも寄付を募ったという話を聞いたことがあります。ということは、水泳は当時必須ではなかったんですよね。
海に囲まれている国だから、泳げるのは「当たり前」なのでしょうか?でも、水の事故は減りません。
プールに使う水道代も馬鹿にならない額だそうです。
水泳部や水泳大会がなければ、1年のうち11ヶ月は使われずに放置されている場所です。
水泳の授業のために荷物が増えます。水着は成長とともに買い替えなければなりませんので、家計にも負担がかかります。しかも制服のように指定があります。
スイミングスクールに通っている子どもも多くいます。学校で全て面倒をみる必要がありますか?
体育の授業のあり方が時代に合わなくなってきています。
ストレス社会なので、健康維持のために運動をすることは大切ですが、「我慢する」運動はかえって良くないです。もうやめましょうよ。
追記:猛暑だと逆にプールサイドが熱すぎて、裸足で歩けないほどだったと聞きました。プールサイドでの準備体操は先生も見ていないそうで…
プールを補修しなければならないようなら、無しにするのがいいですね。
「学校」をつくり直す
河出新書の文庫本なので、読みやすいです。
帯に書いてあることを読んで、ぜひ手に取っていただきたい本なのですが、楽天のリンクには帯が載っていないので、ここに掲載しておきます。
義務教育は、このままでいいのか?
数多の”現場”に携わる教育学者による、渾身の提言!
- 小1プロブレム
- 「スタンダード」の流行
- 学力別クラス
- 無言給食・無言清掃
- いじめ・体罰
- 学力向上至上主義…
みんな一緒、みんな同じの、150年変わらないこの国のシステムは、本気で変えなくてはならないーー
①学びをもっと遊び(探究)に。
受け身のガマンではなく、能動的忍耐力を。
「言われたことを言われた通りに」から、
「自分なりの問いを立て、自分なりの答えを見つけ出す」へ。
教師は”共同探究者”。
②「みんな一緒」をやめる。
時間割もテストも一人ひとり別々に。
人の力を借りながら、人に力を貸しながら。
子どもたちに”学校づくりのオーナーシップ”を。
学校をこう変える!
これだけで、内容がよくわかります。
そして、その実践の場として、幼小中「混在」校、「軽井沢風越学園」が2020年に長野県軽井沢町に開校予定です。
こういう実践校が増えるのはうれしいですが、自分の住んでいるところの近くではないのが残念です。少なくとも各県に1校以上増えてほしいですね。
今後の動きに注目です。
学習する学校 Schools That Learn
苫野一徳先生の『「学校」をつくり直す(河出新書)』の中で紹介されていた本『学習する学校(英治出版、ピーター・M・センゲ 他 著、リヒテルズ直子 訳)』。
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なんと885ページもあるので、読むのに相当時間がかかってしまいました。
翻訳本で、適当な日本語がない語句はカタカナ語で訳されているので、理解するのが難しかったです。英語を勉強していないと、難易度がかなり高く感じるかもしれません。
内容について「訳者まえがき」より抜粋します。
『教室・学校・コミュニティという三つのレベルに分けて、そこにかかわる子どもと大人の両方を学びの主体と捉え、社会そのものを学び続け発展し続ける「生きたシステム」として根底からつくり変えるビジョン、そのために私たちが容易に関われる数々の実例やエクササイズを提供している』
『本書は、私たち産業時代の教育システムで育ったものすべてに、自らが経験し育てられてきた学校を振り返り、未来に向けて「学び直せ」と迫ってくる。学校は「教える組織」から「学ぶ」組織に変わらなければならない。そうしなければ、学校は子どもたちに過去のメンタル・モデルを継承するだけで、彼らが、やがてまだ見ぬ未来の課題に立ち向かって生きる力を身に付けさせることはできない』
『学校が「学ぶ」組織になることで、教員と生徒、教員と管理職者、教員と保護者や地域の人々、すべての関わりがお互いを排除しない包摂的なものとなり、それぞれが他者の見解に謙虚に学びあう姿勢が人と人との間につながりを回復する(中略)
自然界のありとあらゆるもの、そして、人類を含む地球上のすべての存在がシステムとして相互に依存しあっている根源的事実を認め、それへの理解を深め、共有することで、持続可能な未来が広がる』
本書75ページには、気になる言葉が載っています。
『ある教員がこんなことを言った。彼女は、自分のクラスに18人の子供を抱え、そのうち15人に異なるタイプの「学習問題」があるという。(中略)だが、一学級の子どものうちの4分の3が「普通ではない」と一体どういうことか。むしろ「普通」とは一体何かを私たちに問いかけているのではないか。』
『私たちが「学習障害」と呼ぶものは、実は今の教育プロセスと人間との間の不適合を表すに過ぎない。なぜ、人間ではなく教育プロセスのほうを「障害」と呼ばないのか。』
エクササイズの例でおもしろかったものを1つ紹介します。
学習者の性質を見出すというエクササイズ(277~281ページ)です。
「〇〇をするからチームをつくって」というと、最もそれの得意な子から順に選ばれます。最後まで残ってしまうと、自分が役に立たないというレッテルを貼られたような気になります。この刷り込みを壊すのに役立つというのがこのエクササイズです。
この中で、9つの知能が紹介されています。優れているか否かではなく、どんな点で優れているかです。
①ワード・スマート(高いことば・言語知能)
②ロジック・スマート(高い論理・数学知能)
③ピクチャー・スマート(視覚能力や組み立てる能力)
④ボディ・スマート(高い身体・運動知能)
⑤ミュージック・スマート(高い音楽知能)
⑥ネイチャー・スマート(高い自然知能)
⑦ピープル・スマート(高い対人的知能)
⑧セルフ・スマート(高い内省的知能)
⑨フィロソファー・スマート(高い実存的知能…抽象的概念を扱うのが上手)
学校における得意な教科でわかるようなものだけでなく、⑧のセルフ・スマートや⑨のフィロソファー・スマートなど、学校ではなかなか評価されない部分が得意だという子どもにも合う選択肢があるのがいいです。
どの子にもそれぞれいいところがあるのですが、「評価される」環境にいると「評価項目」にない点はなかなか評価してもらえないですからね。
詳細は、本書をお読みいただければと思います。
かなり重いですので、覚悟してください(笑)。1kg以上あります。
少数派に焦点を当てると問題が解決するかも
多数決。意見が分かれた時によく使われる決め方です。
文字通りにとると、多くの人数が賛成した意見で決まるという意味ですが、民主主義では、「少数意見にも配慮する」ことになっています。
「少数意見を切り捨てる」ではないのです。
学校教育では、この「少数意見に配慮する」ことがあまりないのではないでしょうか?
少数意見は切り捨てられ、多数派の意見、声が大きい人の意見が通ってしまう。
先生に時間がない、余裕がないのが理由の一つだと言われています。
忙しいので少数の対応をするのは面倒、その他大勢の面倒をみることの方を優先しないと仕事が回っていかないのです。
中高年のひきこもりが多数いることが話題になっています。
これは国が何十年も前から問題になっていたことを放置してきたツケだと思います。
今すぐ改革しないと、何十年か後にはひきこもりだけでなく、不登校、ニートやフリーター、発達障がい、その他さまざまな障がいを持った人など、「いわゆる普通」でない人の方が多数派になるでしょう。
ひきこもりや不登校の根本となる原因は、多くの場合学校にあると考えます。
学校生活は家から社会に出るスタートであり、生活の大部分を占めます。スタートで傷ついて、家から出られなくなっているんだと思います。
子どもはストレートにものを言います。大人からしたら生意気なことを言っていると感じるかもしれませんが、冷静になって考えると真っ当なことを言っていることが多いです。この時期を逃してしまうと、本当のことが見えなくなってしまいます。
「いわゆる少数派」の我が子を育てるのは大変ですが、私が気づかなかったこと、知らなかった世界を教え導いてくれる大切な存在です。
子どもたちだけでなく、育てている親の気持ちも楽になるような社会になることを真に望みます。
学校教育のあり方、子どもたち周辺の社会のあり方が原因で、子育てをする親の精神面の不安も増大します。お金で解決する問題ではありません。
少子化問題といいますが、子どもが少ないのは問題だといいながら、人口に対して子どもの比率が「少数」、高齢者が「多数」なため、「少数派が切り捨てられている」社会はおかしいです。
大学入学共通テストの記述式問題
センター試験に代わって2021年1月から大学入学共通テストが行われます。
その中に、記述式問題が加わります。その採点が問題になっています。
マークシート式問題の採点は、コンピュータにおまかせなので簡単です。
コンピュータは人間と違って、同じことを何度も繰り返すことが得意ですし、○か×かの判定は得意中の得意、間違えることはありません。コンピュータの性能次第ですが、短時間ですべての採点を終えることができます。
ところが、記述式問題はどうでしょう?採点はコンピュータではできませんので、人間がします。期限がありますので人数が必要です。いくら採点基準があっても、採点基準にない解答が出た場合どうするかで得点にばらつきが出ます。人間が長時間作業すると、間違いが出てくる恐れもあります。
マークシート式の問題では測れない能力を記述式問題で測る、それ自体はすごくいいことなのですが、問題はその後です。
試験制度が、1点や2点のわずかな差で受験生にとって有利不利になるというところが問題なのではないでしょうか。
その小さな差で、希望する大学に入れる入れないが決まる、だから採点も細かく慎重にし、しかも結果をできるだけ早く出さなければいけない、自己採点を見て出願するのに、自己採点と実際の点数との差が大きいと意味がない…etc.
そろそろ日本も大学のあり方を変え、「入学するのは難しく、卒業するのは簡単」から、「入学するのは易しく、卒業するのは難しい」に移行していく時期なのではと思います。
「合格できるのが定員まで」ではなく、「この基準以上に達していれば合格(入学資格あり)」にすれば、多少の誤差は問題にはならないでしょう。
大学側の不安としては、定員よりかなりの大人数が入学してきたらどうしようという問題があるのでしょうが、一斉授業から脱却すれば、融通をきかせるために工夫できることは結構あるのではと思います。
大学の制度が変われば、高校も変わりますし、就活のあり方も変わってくると思います。そうなれば、小・中学校も変わらざるを得なくなるでしょう。
歴史は大人の教養の1つ
最近、無性に歴史を勉強し直したくなりました。
『歴史とは常に勝者 によって描かれてきた勝者の物語なのではないか。』
とあります。
つまり、「負け組」から見た内容は書かれていない。
歴史の授業は好きではありませんでした。先生が面白おかしく解説してくださったのですが、テストでは結局年号だったり、人名だったりを正確に覚えていないと点数が取れなかったからです。
今なら、細かいことは覚える必要はありません。だいたいの時期と前後関係がわかればOK!歴史上の出来事の背景や、関係した人達の思い、現代に活かせる点の探求などができると面白そうです。
YouTubeでも解説動画があるのですが、それはその人の一解釈として、複数の本を読んだり、可能であればその場所を訪ねてみたり、といろいろなことができそうです。
でも、これは時間があればこそですね。
忙しい日々の中、時間を見つけて先人の思いにひたる、そんなリフレッシュ方法もいいかもしれません。