新しい時代を生きる子どもたちへ、大人ができること

孫には新しい共育を受けてもらいたい、子育ての反省と思いと展望

学校教育だけではない教育の問題点

教育というと、学校を思い浮かべます。多くの人は、自分が受けた子どもの頃の学校をまず思い浮かべると思います。

 

学校以外でも、当たり前、慣習になっていることをそのまま続ける、続けているうちに、目的がブレてしまい、手段が目的化していることに気づかない例が多く見られます。

 

例えば、習い事の代表の1つ、ピアノ教室(音楽教室)の発表会のあり方。日頃の練習の成果を発表する、人前で演奏する機会を持つ、他の人の演奏を聴いて励みにする(個人レッスンの場合)…などが目的でしょうか。私もピアノを習っていましたが、発表会で弾く大曲は、練習し過ぎで嫌いになり、発表会が終わった後はしばらくその曲を弾きたくない(もう練習しなくてもいい)気分になりました。これはなぜでしょう?

 

日本に来る外国人が増え、日本語学校の問題がニュースに取り上げられるようになりました。元々は大学に留学するための日本語を勉強するというのが目的だったはずですが、現在は、就労目的の学生がほとんどになっています。しかし、以前から変わらない体制で授業を行っている学校がまだまだ多いです。これはなぜでしょう?

 

就活している学生はみな黒いスーツを着ています。私の頃は、自分が似合う色、業界・職種に合った服装をしましょうということで、黒のスーツは選択肢にありませんでした。暑い中、見た目も重苦しそうですし、黒スーツの集団はとても違和感があります。これはなぜでしょう?

 

個々の教室や学校、先生の問題だけではありません。業界全体とそれを取り巻く社会の問題でもあるのではないでしょうか。

 

満点を取らせないために、定期テストにわざと難しい問題を入れるという公立中学校の話を複数筋で聞きました。定期テストの目的は、どこまで(どれだけ)できるようになったか確認するためではなかったですか?テストの点数が良ければ、生徒だけでなく、先生も嬉しいはずではないですか?

 

こんなことが起きる理由の1つには、周辺にある塾との兼ね合いがあるそうです。塾が、成果を上げるために(良い評判が上がる→生徒数を増やすために)定期テスト対策をして、生徒の成績を上げようとします。度を越すと、実際に出された定期テスト問題を過去の生徒から集めておき、対策に使うこともあるそうです。学校の先生の行動は、それに対抗するためなんだそうです。

 

ピアノ教室や日本語学校、就職先は、合わなければ他に変えるという選択肢があります。しかし、公立小学校・中学校は、私立に行かない(受験しない)限り学校を選択することはできません。先生も選択できません。合わなくて一番辛いのは子どもです。だからこそ、システムを変える必要があるのです。